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小説「武則天」と中国ドラマ「二人の公主」

「武則天」 原百代著 毎日新聞社
以前、唐の則天武皇とその二人の娘(安定公主と太平公主)を描いた中国のテレビドラマ「二人の公主」について触れた。今回紹介する小説は、その則天武皇の長編伝記小説。上・中・下の3巻に分かれ、しかも各巻が分厚いので、通常の文庫本にすれば6冊程度の分量になるだろう。ちょっと文章が古めかしいと思ったら、著者は1912年生まれだった。分厚いのは、当時の社会や政治制度も詳細に記述され、主人公の則天武皇他多くの登場人物が描かれ、歴史考証小説とも言える内容だからだ。大概の歴史書は男性の作で、中国史上唯一の女帝についてめんどりが時を告げると家が滅びる的な視点から悪女として書かれているが、著者は女性の視点から肯定的、好意的に捉えている。
中国の唐王朝は初代の高祖、太宗、高宗と続くが、武媚娘は太宗、続いて高宗の側室となり、ついには高宗の皇后となった稀有の存在だ。本来ありえない状況だが、貞観の治で名君言われる太宗の生存時から、彼女は高宗と関係を持っていた。


さて、上記の中国ドラマでは、
生まれたばかりの娘の安公主を王皇后を蹴落とす為に実の母親の武媚娘が殺して、その罪を王皇后になすりつけることに成功。ところが死んだと思われた太平公主は後で息を吹き返し、乳母がこっそり連れ去って逃げたという設定になっている。この話、自分の出世の為に娘を殺した鬼女という伝説は広く信じられており、資治通鑑‪にも書かれているそうだ。しかし、事件の真相は不幸な事故だというのが作者の意見だ。当時はもともと乳幼児の死亡率は高い上に、冬場は堅炭を大量に焚くので一酸化炭素中毒で死亡した可能性もあるそうだ。
太平公主は則天武皇の2番めの娘。14、5才の頃に吐蕃国王から嫁に求められる。吐蕃を怒らせると戦争になるかも知れず、女道士(女冠)だから結婚できないという口実で断った(ドラマでは仕方なく嫁入りさせることに)。その為、太平女観(道教の尼寺)を作って住まわせることにしたそうだ。
氏族志
太宗は史部尚書に命じて編纂させた。当時の標準では唐皇室の李家は三流以下の家柄であり、最初に提出されたものでは李家は三流あつかいであった。激怒した太宗は皇族を一等、外戚を二等、古来の名族(一流の家柄)を三等とさせた。ところが、武則天の武家の名前は氏族志に入っていなかった。そこで、氏族志の改正をさせて、一等の名家に入れさせ、名前を「姓氏録」とした。そこで、かえって名家は姓氏録に名前が載るのを恥としたとか。
天皇
674年、皇帝は天皇、皇后は天后と称した。日本の天皇の名称はこれから取ったものだ。また広く天下の意見を聞くとし、実際に銅箱(目安箱)を宮門の傍らに置き投書をさせた。
とにかく長いので、実はまだ中途までしか読んでいない。続きはまた。




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by show_isa | 2013-08-05 15:25 | culture | Comments(0)
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