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中国テレビドラマ「王の後宮」、いよいよクライマックスに 

王の後宮(BS11 午前4時30分~)は明の後宮のテレビドラマ。全46話で40話まで放映されたので、いよいよクライマックスに突入だが、どういうラストになるのだろうか。
大枠は史実に則ったストーリーだが、主人公の春華やその悲恋のドラマは創作でしょう。タイトルの「王の後宮」ですが、王と呼ばれるのは皇族に何人もいる存在なので、誤称ですね。 英語タイトルは THE EMPEROR’S HAREMなのに(原題は「后宮」)。
日本では室町時代の応仁の乱の頃、1464年に天順帝の子、憲宗(成化帝)が18才で即位した時、万貴妃は35才。彼女は4才の時に宮中に入り、憲宗が皇太子の頃から面倒を見ていた。美人ではなく太って声も男性的で常に軍装姿で、皇太子と一緒に酒を飲んでいたそうだが、気が利くので気に入られたようだ。
さて、憲宗の最初の皇后はがさつな万貴妃と衝突し、万貴妃の訴えで廃されてしまった。憲宗は寵愛する万貴妃を皇后にしたかったが、二人の皇太后の勧めで王皇后を立てた。皇帝は万貴妃のいいなりで、王皇后も万貴妃と争わないようにしていたので、万貴妃は勝手に振る舞い、他の妃に子ができると堕胎させていた。柏賢妃が男子を生み万貴妃が自分の子として育てたが3才の時に病死したことがあった。それでも、紀妃はこっそり男子(孝治帝)を生み、隠密裏に育てた。皇帝が知ったのは、子が6才の時に初めて会った時だった。それでも、万貴妃は嫉妬して、彼女を毒殺してしまった(後に子の孝治帝が皇太后の称号を贈った)。

宦官では汪直を最も寵愛し、(既存の東廠とは別に)西廠を設立させ長官とさせたので、横暴専横を極めた。官吏の直言で一旦は西廠が廃止されたが、その後しぶとく西廠の長官に返り咲いた。しかしながら、彼の勝手気ままな振る舞いに反発が高まり、とうとう汪直は北京から追放されてしまった。しかし、その後も別な宦官が権勢を振るい、皇帝は制止することができなかった。明代、宦官の弊害は大きく、汪直より悪辣な宦官も何人もいたようだ。
二人の皇太后(先帝の皇后の銭皇后と皇帝の生母の周貴妃)がいて、銭皇太后の死後に皇帝陵に葬る件で周皇太后がゴネたのも史実である。

明代の皇帝は政治に興味を持たず宦官に任せ、全国から美女を集めて女遊びに精を出していた暗愚なのが多かった。虐待された宮女達に絞殺されかかった皇帝もいた。憲宗はまだましな方だったのだろうか。その点、子の孝治帝は稀な名君だった。



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by show_isa | 2014-02-05 22:01 | culture | Comments(0)
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