人気ブログランキング |
<< アメリカのポリティカル・ドラマ... テレビドラマ 瀬在丸紅子の事件... >>

積極的平和主義ではなく、「永遠平和のためには」を考えたい

新自由主義や右翼的な主張が声高になっている状況で、今こそリベラルな立場からの「 大きな話」が求められています。リフレ政策の可否よりも大きな問題は、それをトリクルダウンで行うのか、ボトムアップで行うかです。かって、一億総中流は幻想だと、いわゆる有識者があざ笑っていた時代がありましたが、多くの人が中流意識を持てる方が良かった筈です。底の浅い考えしか持てなかった彼らにも今の時代に対する責任があるのではないでしょうか。

憲法九条の平和主義についても、従来の主張の繰り返しても説得力がないように思います。戦争の悲惨を知らない人が殆どになってきたのですから。

憲法前文や九条は、各国が主権の一部である軍事を世界国家のような組織に委譲するというビジョンの下に書かれているのだと私は思っています。勿論、それは理想であり、簡単ではありませんが、理想に向かって努力しながら、それまでは現実的な対応もあるでしょう。世界に理念を示していくことが、軍国主義に対する懸念を払拭する道です。かっての国連中心主義は廃語となり、今どき、国連軍の理念を論ずるのを見ることはありませんが、軍事だけでなく税制や多国籍企業を取り締まるための国際的制度も必要でしょう。最近読んだ本がそれに近い内容なので、ご紹介したいと思います。
---------------------
世界共和国へ -資本 ネーション 国家を超えて
柄谷行人 岩波新書

国家の4つの形態は統制と平等の「国家社会主義(共産主義)、統制と不平等の「福祉国家資本主義」、自由と不平等の「リベラリズム(新自由主義)」、自由と平等の「リバタリアン社会主義(アソシエーショニズム)」があり、著者はリバタリアン社会主義(アソシエーショニズムがもっとも好ましいとしている。マルクスの過ちは世界同時革命で共産主義が成立すれば国家は消滅すると考えたことである。それは世界資本主義にとっても国家はなくならないのは同様である。
社会主義が消滅すると、対抗するための福祉国家は不要となり、安い政府が求められ資本の利潤を最優先することが国民の利益にかなうと主張されるようになった。この新自由主義への反対はあるが、普遍的な理念を持ち得ていない。
※リバタリアン社会主義は個人の自由(リバタリアン)と社会的公正(社会主義)を両立させ、反国家的な立場である? 本書は国家による生産手段の所有ではなく、協同組合(アソシエーション)のようなものを提唱している。リベラルな社会主義とも言うが、現実に存在はしない。著者は資本 ネーション 国家を超えるものとして世界共和国を考えている。

国家は外部(外国)に対して成り立っている。国家の自立性は戦争で示される。国家をブルジョアの階級支配のための装置とみては、その本質を見誤る。
産業資本はプロレタリアを搾取して剰余価値を得るというが、それなら奴隷や農奴制でも良いのではないか。大事なのは、プロレタリアが労働力を売って得た賃金で生産物を買う消費者だということ。商人資本は奢侈品を売り、王侯貴族を相手にしたが、産業資本は生活必需品を作りプロレタリアに売ることで成り立つ。産業資本の剰余価値は労働者が労働力を売り、その生産物を消費者として買い戻すとうい広義の流通にあるとマルクスは説明している。したがって、個別資本がなるべく賃金をカットし、利潤を確保しようとすればするほど、総体として不況が悪化する(格差が拡大すれば不況が促進するですね。)
1930年代の大不況では高賃金で耐久消費財の大量生産と大量消費を実現し不況から脱出しようとした。資本と経営の分離で、経営者と労働者は身分的階級ではなく、官僚的位階制になった。個別企業では経営者と労働者は同じ利害を持つ。一方、消費者は労働者が流通の場であらわれる姿であり、消費者としての運動はプロレタリアの闘争である。
ネーション(ナショナリズム)は共同体の「想像的」な回復である。
カントの「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う」社会は資本主義では実現しない。カントが考えたのはアソシエーションだった。そして諸国家がその主権を譲渡して成立する神の国(世界共和国)、永遠平和を実現するための国際連合を提唱した。
ポストモダンな知識人が理念を嘲笑している間に宗教的原理主義が広がった。世界共和国のような統制的理念は無限に遠いものでも必要だ。
プルードンは個人と自由を優先し、分配的正義、つまり国家が強制的に富の再分配をすることに反対した。そして私有でもなく共有(国有)でもない生産者協同組合、国家と資本主義市場経済から独立したネットワーク空間を提唱した。

国家は他の国家に対して国家なのだ。社会主義は下からの革命によって実現されると考えられてきたが、同時に国家を上から押さえ込むシステムが不可欠である。
資本主義のグローバリゼーションで近代国民国家の枠組みは無効になりEUの様な帝国(広域国家)になるとか、多国籍な資本主義が新たな帝国だと言う。しかし、国家は資本主義とは別の源に由来する。国家が簡単に死滅するとか、国家をその内部だけで考えるのは間違っている。
ヘーゲルはカントの国際連合の考えを嘲笑し、規約の違反国を処罰する実力をもった国(覇権国家)がなければならないとした。
「ただ戦争しかない無法な状態から脱出するために、...その未開な自由を捨てて公的な強制法に順応し...諸民族連合一国家を形成して、この国家がついには地上のあらゆる民族を包括するようにさせるという方策しかない」(カント 永遠平和のためには)
人類が今直面している戦争、環境破壊、経済的格差は一国では解決できず、世界の様々なネットワークが作り出されているが、有効に機能しないのは諸国家の妨害に会うから。各国で軍事的主権を徐々に国際連合に譲渡するよう働きかけ、国連を強化・再編成することです。日本の憲法九条の戦争放棄は軍事的主権を国連に譲渡するものです。



>
人気ブログランキングへ
by show_isa | 2015-02-08 19:16 | news | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://showisa.exblog.jp/tb/22791436
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
<< アメリカのポリティカル・ドラマ... テレビドラマ 瀬在丸紅子の事件... >>